yabusameyamaのブログ

野草を見続けて40年草花にレンズを向けて好きなように写真を撮る

今日のお茶

今日のお茶・その前に・・・・


知らなかった
伊勢湾に長良川は注いでない

岐阜に長年住んでいれば長良川を知らない人はいない。
源流は大日岳で郡上八幡・美濃市などを通り岐阜市の中心を通る清流。
大きな川ではあるがダムは一つもない。ただ1つあるのは最下流の長良川河口堰だけで岐阜市では長い歴史を誇る鵜飼が行われている。
しかし、長良川はどこまで続くかは考えたことはなく当然伊勢湾に注ぐと思っていた。岐阜市から海津市へ15年前に転居し、市が主催する勉強会で木曽三川の改修工事を学んだ時には初めて長良川は木曽川の支流の一つと知った。江戸時代末までは海津(高須藩)では木曽川・長良川・揖斐川が合流し氾濫が絶えなかったようだ。幕府は島津藩に命じこの河川の改修の大工事を命じた。一応は工事は終わるが最終的な今の形に改修されたのは明治になりオランダ技師デ・レーケを招き本格的な河川改修を行い木曽川、長良川、揖斐川と三川の分離が行われるまでは入り組んだ湿地だったようだ。ここで木曽川と合流していた長良川を分離した。しかし、ほとんどの人はこれで三川は独立して伊勢湾に注ぐと思っていたが今朝の地元新聞の記事によりそうではないことを知った人は多いだろう。



海津を通過した長良川と揖斐川は桑名で合流していた。そして名前は長良川にはならず元々の本流(長良川は木曽川の1部)であった揖斐川の名称で伊勢湾に注ぐようになったそうだ。
知らなかった。



合流付近の地図



右側の太い川は木曽川。左の二本の内左が揖斐川で右が長良川。ちょうど国道1号線(東海道)の弥冨と桑名のすぐ下流「なばなの里」辺りで合流して1本となり伊勢湾に注いでいるのが判る。



今日のお茶
お菓子
    海津市 あら重 「金魚鉢」



茶碗
    九谷焼伝統工芸士 山上義正氏作
      灰釉瓢文茶碗




手紙
 祖父がアユを送った時の礼状 
京都画壇 西山翠嶂氏(夫人筆)
西山翠嶂画伯
  京都画壇の日本画家、文化勲章受章。
巨匠竹内栖鳳師の直弟子で夫人は竹内氏の娘





読み
拝呈 立秋之砌愈々御健祥
の段奉賀候
扨て先般御入洛之際ハ何の風
情も無之失礼申上候
時ニ此間ハ見事なる香魚
沢山御恵送之程主人俄の
殊の外の好物にて心から欣び
申候、早速御礼状さし上ぐ
べくの処、恰も旅行の間際にて御贈
物の顔を拝見致すと同時に出
発致し、未だ帰宅致さず自
然延引ニ相成候次第、不甚
御諒察被下度候、帰洛の上ハ
更めて御手紙差上べくにも不取
敢右御挨拶まで   
     早々不一 
      九月九日   
        西山宅
  山崎丈夫様 

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