yabusameyamaのブログ

野草を見続けて40年草花にレンズを向けて好きなように写真を撮る

偉人

南方熊楠


今朝の朝ドラ「らんまん」に南方熊楠の名前が登場。槙野(牧野富太郎)も初めて聞く名前だったようで植物の標本を送って鑑定を依頼してきた。中には120年に1度しか開花しない竹の花まで送られてきたようだ。大変興味をしめすが牧野が所属する東大は国の機関であり政府が進める神社整理に南方は反対していたため教授からは南方にかかわらないよう指示されたようだ。


さて、牧野富太郎は知っているが南方熊楠の名前を知ってた人は少ないのではないだろうか。我が家には「南方熊楠全集」があり若い頃から面白い名前なのでよく覚えていた。
2001年にネットのブログに彼のことに触れたことがある。


2001.06.23
植物学小学生の頃の愛読書は父親が与えたくれた植物と昆虫の専門書だった。とにかく植物と虫が好きだった。中学生ともなると受験勉強をせねばならず自然に植物と虫から離れなければならなかった。図鑑は何時間見ていても飽きなかったが勉強はあまり好きではなかった。末は博士かと期待されながら学者になるには好きなだけでは駄目な時代、基礎の学問が必要な時代でこの部分に力が入らなかった。しかし後にはこの好きな部分がどれだけ役に立っているか知れない。今でも植物の書物は手元に何十冊と積んである。しかし今から思うと学者になるには好きと学問だけでは駄目で根気のいる観察力が必要であることに気付く。今日では植物といえばすぐにシーボルトを思い浮かべるが、シーボルトが日本へ来る50年も前にスエーデン人のチュンベリーが日本の植物800種以上を調べ上げていたそうだ。しかし日本にはすごい人がいる。独学で世界的に有名になった南方熊楠だ。この人こそ世界に誇れる学者以上の学者だろう。



南方熊楠の資料が大量に大英博物館に
              所蔵されている


南方熊楠は、1892年から1900年まで、イギリスに滞在していた。彼は、大英博物館の円形閲覧室を中心に様々な国の文献から情報を収集し、その大半は大英博物館での読書と筆写に明け暮れた。彼は、当時のノート「ロンドン抜書」52冊、1万800ページを成し遂げたといわれている。また、彼は大英博物館副館長格であったフランクスに見出され、その助手のリードに日本語や中国語に関する助言を依頼され、東洋美術部に出入りするようになった。さらに、彼は処女作の「東洋の星座」を皮切りに、当時科学雑誌としての権威を高めつつあった『ネイチャー』誌にたびたび投稿し、東洋にも固有の科学思想があったことを紹介し続けた。


先日Microsoft BinngAIにチャットで「牧野富太郎と南方熊楠のどちらが世界的に著名か」聞いてみた。以下が回答。


「牧野富太郎と南方熊楠は、それぞれ異なる分野で世界的に著名です。牧野富太郎は、日本の植物分類学を築いた偉大な植物学者です。一方、南方熊楠は民俗学の分野における近代日本の先駆的存在であるとともに、「隠花植物」と呼ばれていた菌類・変形菌類等にとりくんだ生物学者でもあります。どちらがより世界的に有名かは、個人的な意見によって異なるかもしれません。私は、客観的な事実に基づいて回答することができますが、主観的な意見を述べることはできません。」

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