yabusameyamaのブログ

野草を見続けて40年草花にレンズを向けて好きなように写真を撮る

我流素人の生け花

今日の生け花・その前に・・・・・
21年前に書いたブログ「自然に学ぶ」から



2001.10.29
西双版納(シーサンパンナ)

もう10年以上前の話。「西双版納」へ行きませんか」と日印教育協会総裁の前田行貴博士と日展篆刻家小田玉瑛さんよりお誘いを受けた。はて、シ-サンパンナってどこだろう。当時まだ日本ではあまり知られていなかった。どのようなところかもわからず女房をつれて行く事にした。恥ずかしい話飛行機の中でどこにあるのか初めて知った。正式名は中国雲南省西双版納タイ族自治州という。中国でも大変な奥地でミヤンマー、ラオスの国境近くだ。飛行機を乗り継ぎ景洪という町へ、ここは州都でいつも写真や、テレビで見る中国とは様子が違う。中国の95%は漢民族で残りの数%が60近い小数民族から成り立っている。ミヤンマーの国境近くの町では日曜日に色々な民族衣装を身にまとった少数民族が集まるバザーが開かれる。ちょうど訪れた時には日本から2つのテレビ局がある有名人をレポーターに取材にきていた。このあたりは稲作が盛んで、景色や住居はどこかで見たことがあるような光景だ。住居は高床式、舗装されていない道路にはブタ、鶏、アヒルが気ままに歩いている。私が生まれるよりずっと昔へタイムスリップしたような感覚に襲われる。ある部落を訪ねた時、日本では考えられないことがおきた。私の目の前2mも離れていないところへ突然カワセミが止まった。全く警戒する様子もなく、大きな口をあけ鳴きながら私の目の前にしばらくいた。お陰で思わぬ写真を撮ることができた。





追記
西双版納について書いたのは2001年、そして行ったのはそれより10年以上前だから1990年頃だろうか?
中国雲南省西双版納には行く人はほとんどおらず、報道されることもなかった。恐らくあれから30年以上経っているから今の中国の発展から考えれば相当発展してると思われる。
省都景洪は飛行場が出来て1年も経っていないとのことで飛行場には物珍しいのか多くの人が見物に訪れていた。最初に泊まったホテルでは水道から茶色い水が出る始末。
翌朝はコックが寝坊したとかで朝食はだいぶ待たされた記憶がある。バスで色々な民族が集まるバザーがあるというので出掛けるが途中では大きな木が数日前から降った大雨で倒れて道を塞いでおり車で行けなくなった人たちと協力してどうにか通行できるようにした記憶がある。バザーでは特に目立ったのは珍しい衣装のミャオ族の若者だった。。
テレビ朝日当時有名作家の立松和平氏をレポーターに取材に来られていた。
場所によっては橋がなく対岸に渡るのに竹で組んだ筏のような物に数人づつ乗って対岸からツナで引っ張ってもらう。正にここでは日本では味会うことが出来ない体験を多くした。
特に印象に残っているのはレストランでの豪華な食事だった。
中国だから確かに中華料理ではあるが日本で食べる料理とは全く違い丸い皿に次々と出され記憶では20皿以上の料理だったが中にはこの食事が口に合わず食べられない方もおられた。
又、別の所ではマッタケ料理専門のレストランでも食事した記憶がある。
途中どこであったか記憶にはないがお釈迦様に遺跡がありここを訪れた折に変わった実を見つけて種子を数個採ってきた。
これを前田先生に渡しておいた。2年ほど後に東京銀座松屋で
小田玉瑛先生が個展をされた折前田先生からお渡ししたものがあるので東京まで来られないかと連絡が来た。松屋でお会いしたらビニール袋に入れた30cm程の鉢植えだった。
お釈迦様の遺跡で私が採取した種子を先生が実生され発芽した
植物は「龍華樹」という名前の植物でお釈迦様は菩提樹の下で悟りを開かれたが彌勒菩薩が釈迦の滅後五六億七千万年後に、龍華樹の下で説法を行なうと言い伝えのある木だった。


確か2週間ほどの旅行であったが、石林や桂林を周り最後は上海だったがここへ戻れば現実の世界。
30年以上経過した西双版納は今では観光地として検索すると色々観光案内が出てくる。




今日の生け花
庭に椿が少しづつ咲き始めた。
極小輪の侘助椿の「一子侘助」が咲き始めたので使ってみる。
1種生けにした。


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