yabusameyamaのブログ

野草を見続けて40年草花にレンズを向けて好きなように写真を撮る

我流素人の生け花

今日の生け花・その前に・・・


瓢ケ岳
岐阜県中央部郡上市と美濃市の境に昔から周辺では有名な山がある。
山の名前を「瓢ケ岳」というがほとんどの人は読めなかった。
しかし、高速道路東海北陸道が出来た時に「瓢ケ岳PA」が出来名前を知られるようになった。名前は「フクベ(ケ)ガタケ」という。
日曜日の岐阜の地元紙にこの山の事が出てた。




若い頃は山野草の撮影でこの周辺はよく歩いたが大変歴史のある地で江戸時代には円空さにも関係がある。この山の中腹には林道が走っている。国道156号線を北上、郡上踊りで有名な八幡町の少し手前に長良川の支流の那比川がありその川に沿って山に入ると人家が全くなくなったところにうっそうとした杉に囲まれた那比新宮神社がある。この地を訪れた時には必ず立ち寄った。
平安・鎌倉時代には修験者が多く修業したらしくその時に使った掛け仏なるものがこの神社には保存されおり、多くは重要文化財や県の重要文化財に指定されている。以前この神社の氏子総代だった方に宝物殿の鍵を開けていただき多くの掛け仏を見せていただいたことがある。中には随分大きなものもある。その1つ重要文化財になっている虚空蔵菩薩坐像について総代から地元で相当問題になった話を聞いた。日本航空が地元の承諾を得ず、この掛け仏の写真を広告に使ったらしい。地元で大変問題となり日本航空に抗議すべきかどうか話し合われたようだが大企業相手に抗議しても仕方がないとあきらめたそうだ。
ところがその少し後にあの日本航空の「御巣鷹山事故」が起きた。その時地元では「やはり祟りだ」との言葉も出たらしい。


日印教育総裁だった故前田行貴博士をこの地へ案内した時に先生が面白いものを見つけられた。この地は杉の古木の大木が多くあるがその中に江戸時代であろうか、人を呪うために使ったと思われる藁人形を打ち付けたと思われる釘の跡をいくつか見つけられた。近代はこのような行為はほとんどないが昔は山奥の神社で深夜このようなことが行われていたのだろう。
実はカーナビに出てこない道があり1度間違えてこの道に入り込んだことがありものすごい悪路だった。四輪駆動車だったのでどうにか通れた。
その先に那比新宮ほどではないが古びた神社が現れた。これが那比本宮だった。


那比新宮神社の横の道を進むと少しづつ標高が高くなり瓢ケ岳の中腹を通り粥川の星宮神社に降りる。この神社は平安時代から栄えた修験道で瓢ケ岳を中心に栄えた。今ではこの神社には多くの円空仏が展示されている。この3つの神社の他にまだ周辺に3つの神社があり高賀六社と呼ばれている。
昔はこの脇を流れる粥川には驚くほどのウナギがおり母親の話によると目でいくらでも見ることが出来たらしい。今はほとんど見られない。


今日の生け花
先日採取してきたガマの残りの穂を使う。
合わせた花はジンジャー 

花器は美濃焼伝統工芸士の小木曽教彦氏作の籠型花器

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