yabusameyamaのブログ

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歴史の一コマ

鎌倉殿の13人創作と真実


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」もいよいよ義時(小栗旬)が本性を出し始め鎌倉幕府の頂点へと登り始める。


前々回は2代将軍頼家は病気となり跡目争いが表面化する。頼家の息子の一幡を次の将軍に担ごうとする有力御家人の比企能員と頼家の弟千幡(後の3代将軍実朝)を推す北条一派が対立する。そして北条時政により仏事を行うからと北条の屋敷に比企能員を呼び寄せて暗殺する。ドラマではこの部分は仏事ではなく北条から和解したいからとの呼び出しに替わっている。その日の内に北条氏により御所を攻められ比企1族を滅ぼされる。そして、比企能員が跡目と考えていた一幡も殺される。
ここまでは史実を多少変えてはあるが事実に沿った展開だろう。


その後、そこでは2人目の頼家の息子善哉(後の公暁)は見つからない。
次の回では善哉が梶原善氏演じる善児(架空の人物)がかくまっていることがわかり義時が善児のところを訪ね善哉を始末するように指示し善児が短刀を抜いて向かうがそれを制止して義時自身が刀に手を掛けるが思いとどまるという設定になっていた。


そしていよいよ頼家を暗殺すこととなるがドラマでは修禅寺の幽閉先で猿楽を観る場面で義時の命を受けた善児が頼家を切り殺す。しかし、史実で伝えられているところは頼家が風呂に入っているところを襲われたとなっている。ドラマであるから展開は
早いが実は頼家が伊豆修禅寺へ流されてから1年後の事である。
さて、頼家の残された善哉(後の公暁)は史実ではどうなっているか。
政子の計らいで鶴岡八幡宮の宮司の門弟となり、実朝の猶子(子供扱い)となる。
出家して公暁(くぎょう)と名を改め近江の園城寺で修業。後、政子の命により鎌倉に戻り鶴岡八幡宮の別当となる。


三谷幸喜氏が後の事件への仕掛けを織り込ませている。
善哉の前に草笛光子演じる比企尼(頼朝の乳母)が現れ「あなたこそが次の鎌倉殿になるべきお方。それを阻んだのが北条の時政、義時、そして政子。あの者たちを決して許してはなりませぬぞ。北条を許してはなりませぬ」と告げる場面があったが、これがこれから起こる事件を暗示させる為の仕掛け。


吾妻鏡によれば1219年1月満26歳になった実朝は義時や源仲章を伴い鶴岡八幡宮に参るが義時は門の所で体調不良ということで太刀持ちを源仲章に交代する。その後公暁が「親の仇」と実朝を切り殺す。続いて義時と思い込み間違えて源仲章も殺ししまう。
公暁の親の仇ととして実朝を殺すと史実にもとづいた描き方をするだろうが、ここに北条義時・三浦義村や後鳥羽上皇がかかわるのか三谷幸喜氏どう描くのだろうか?


この事件には所説あり北条・三浦黒幕説とか後鳥羽上皇黒幕説などがあるらしいが確定はされていないだけに描き方は自由。
結末は、直ちに公暁は追っ手(三浦か北条か?)により殺され頼朝の血筋はこれでなくなる。

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