yabusameyamaのブログ

野草を見続けて40年草花にレンズを向けて好きなように写真を撮る

我流素人の生け花

正月早々の生け花・その前に・・・・・


岐阜の地元新聞「岐阜日日新聞」に現在も連載されているが「素描」という欄があり2か月周期で毎日7人の方が自分の思いを書く。
昭和58年に私に記事の依頼がきた。その当時ヘラブナ釣りにのめり込んでいたので7回にわたり釣りについて書いたことがあったが先日この7回分の記事が出てきたので載せてみたい。

その当時と今は釣りそのものも変わってきているが当時を振り返ることができる。


昭和58年5月


今日の生け花
今の時期は野の花を求めても無理、そこでやはり椿かな?
もう30年くらい前に義母の畑に30cm程の紅侘助の苗を植えておいた。今は2mほどになり沢山の花をつけている。
紅侘助は大変丈夫な椿で枝が直線的に伸びるので少し使いにくい。
目指す生け花は如何に素材を少なく、如何に枝の線を美しく出すか。今回も花器は止めて食器を花器の代わりに使う。
私の陶器収集歴は長いが美濃焼伝統工芸士の小木曾教彦君との付き合いが一番長いだろう。小木曽君の窯は多治見市之倉の後人間国宝となる加藤卓男氏の幸兵衛窯と背中合わせにあり小木曽君も加藤氏の指導を受ける。彼の全盛期は下呂にも窯を持ち
作陶してた。岐阜市の名鉄系のグランドホテルの和食の食器も多数作っていた。ある時私の自宅に面白い食器を1つ持ってきた。今、天皇陛下となられたが皇太子時代雅子妃殿下とグランドホテルに宿泊されその時に鮎の塩焼きを出す食器の製作の依頼を受け作ったも
のと同じものを手土産に来てくれたことがある。しかし、料理屋の食器で家庭で使うのは無理でいつしか消えてしまった又、北京万博の折には日本の日に彼が轆轤を披露している。下呂で焼かれた当時のいい作品はほとんど私のところに来ている、今回使った食器はは黒織部の発色が悪く捨てたものを私が拾ってきたものであるが十分使える。


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