yabusameyamaのブログ

野草を見続けて40年草花にレンズを向けて好きなように写真を撮る

今日のお茶

今日のお茶・その前に・・・・・
21年前に書いたブログ「自然に学ぶ」から



2001.06.29
変化アサガオ

中学校の頃かメンデルの遺伝の法則を学校で習った。えんどう豆とショウジョウバエの優性遺伝、劣性遺伝の話。通り一辺倒の学習で終わりだった。メンデルの法則よりもっと前の江戸時代の日本にはアサガオで掛け合わせにより隠れた遺伝子から色々なアサガオが作り出されていた。いわゆる「変化アサガオ」である。私がまだ大学1年の時、父親が国立三島遺伝研究所より種子を分けていただき楽しんでいた。夏休みに帰省するとその手伝いをしていた。アサガオとは丸い花と思っていた当時、全く違う獅子牡丹、糸のような花などに衝撃を受けた。昨年当時を思い出し色々な人をたどり種子を手に入れることが出来栽培がはじまった。
インターネットのお陰か今年は新たな栽培家と知り合うことが出来、新しい種子も手に入れることが出来た。今、120鉢以上の苗を見ながら学生時代を思い出している。変化アサガオは秘たる遺伝子をもった親木の確保が必要であり草花園芸とは違い多少手が掛かる。江戸時代に大流行したような流行が又訪れることを願っている。かっての国立三島遺伝研究所の資料は現在九州大学へ引き継がれている。


自分で栽培した変化朝顔の数々



台咲牡丹

八重撫子咲


風鈴獅子ボタン






追記
朝顔は奈良時代に中国から渡来したといわれる。当時は朝顔という名前は現在でいう朝顔とは違うらしくムクゲとか桔梗が朝顔と呼ばれていたとの説もある。万葉集で秋の七草にアサガオの花が出てくるが今のアサガオではなく桔梗ではないかといわれている。
当初、朝顔の渡来は薬草としての渡来らしく一般人が栽培するものではなかった。
朝顔の面白さに気が付いたのは江戸時代の人で中に奇妙に変化するものを見つけそれを栽培することにより色々な品種が作り出されあまりにも面白い花が出るため町人はもとより旗本など武士の間に大ブームを巻き起こしている。
江戸時代には2回の大ブームを引き起こしていたが明治以降には大輪の朝顔が登場するとこちらの方へ人気が行きやがて変化する朝顔は次第に忘れられ個人の趣味人の間で細々と受け継がれいた。その種子を国立三島遺伝研究所の竹中氏がすべてを集められた。これがテレビで放映されこれを観た父親が興味を示し、種子を入手して育て始めた。私が大学生の頃。
その当時は面白いとは思いながらも園芸にはあまり興味を示すことはなかったが、インターネットが普及し始めた頃に急にこの朝顔を思い出し何とか育ててみようと種子をさがす。
初めは三島遺伝研究所へ電話するが全く資料がないのでわからない。次は有名な植物研究家の電話番号を調べて連絡するが知らないが1度名古屋の朝顔展でみたことがあるからそちらで聞かれたらとヒントをいただく。名古屋市の主催の会だったらしいので市の担当者へ連絡し朝顔会の方を紹介いただく。
その方に連絡するも会では扱っていないが知ってる方がいるからと横浜の方を紹介いただく。その方に連絡すると種子を持ってるのでお分けしましょうと送っていただいた。やれやれこれで変化朝顔が見られると栽培を始めたがこれが全くダメで葉には変化が出るが花は普通の丸い朝顔。もうダメかとこのことを自分のブログに書いた。すると読まれた方のおひとりに千葉県の方がおられ種子をお分けしますと連絡をいただいた。その種子からは色々な変化する朝顔が出現した。実はこの種子は元々三島遺伝研究所に集められた種子がその後九州大学の坂田研究室にすべて移管され、その種子の一部であることがわかった。
しばらくは九大でも種子を無料で配布されていたが今は有料になっているようだ。
今はネットでいくらでも見つけられるが当時は検索してもほとんど出てこなかった。
江戸時代にこの劣勢遺伝を見つけた方は素晴らしいと思う。



今日のお茶
お菓子
    海津市尾張屋昌常「いちょう」


茶碗
九谷焼 森澤昭三氏作
     深厚釉窯変茶碗



佛語
  比叡山天台宗第253世 天台座主
     山田恵諦師 筆
      「無我」
    日常的には「とらわれないこと」

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