yabusameyamaのブログ

野草を見続けて40年草花にレンズを向けて好きなように写真を撮る

今日のお茶

今日のお茶・その前に・・・・


2001年のブログ「自然に学ぶ」
2000年12月偶然見つかった腎臓がんの手術を受け1ケ月程入院した。1月に退院したのを機会にブログを始めた。どこのブログだったかは記憶がないが日付と書いた内容は保存してあった。
その時書いたものを21年後の今、再度記載してみたい。今の時代にあってるかどうかはわからないが・・・・


2001.02.25「葵のご紋」
「この紋所が目に入らぬか!」水戸黄門の決まり文句。水戸黄門といえば昔は月形龍之介今は石坂浩二。何年経ってもこの番組は人気があるらしい。印籠を出す時間も決まっているらしくその時間の視聴率が一番いいそうだ。まず悪代官か悪家老それと結びついた悪徳商人。助さん格さんを交えて大立ち回りを演じてから葵の印籠の登場となる。初めから印籠を出せばいいものをとつい思ってしまう。ところで、葵のご紋の葵って何か聞いても答えられる人はよほど植物に詳しい人だろう。山の薄暗いところに生えるフタバアオイを図案化したもの。カンアオイの仲間で冬は落葉し横根が土の上に露出して残る。春地上から数センチのところで二股に分かれハート型の葉を一枚ずつつける。ひとつの茎から二枚の葉をつけるところから「フタバアオイ」の名が付いている。大変丈夫で日当たりの悪い木の下へ植えておけばいくらでも増える。なぜ徳川家が二葉を三枚にしたのかは知らない。



冬の姿




来年の大河ドラマは徳川家康。水戸黄門は人気のあるテレビ番組ではあるが当時の役者は石坂浩二氏は分かっても月形龍之介は若い人には誰?でしょうね。


私の住む海津市は江戸時代は高須藩で幕末の当主は水戸藩出身の松平義建。菩提寺は養老山脈の中腹にあり東大寺大仏建立に尽力した行基のお墓がある行基寺。大きな門の扉には大きな葵の紋が彫ってあり、公開されている座敷や居間などのふすまは葵の紋の描かれている。義建の4人の子供は悲劇の4兄弟といわれ幕末には敵味方に分かれた。上から尾張徳川家藩主徳川慶勝、2番目は15代将軍を出した一橋家当主茂栄、3番目は京都所司代を勤めた会津藩主松平容保、4番目は桑名藩主松平定敬。
一番の悲劇は最後まで幕府方として戦った会津松平容保だろう。しかし、今の徳川宗家は松平容保の男系の子孫が継いでいる。



今日のお茶


お菓子
   大垣市 金蝶園 「唐 錦」



茶碗
京楽焼 佐々木松楽氏作
    赤楽茶碗



手紙
   日本画家 小杉放庵氏
    祖父あて柿の礼状



祖父が出身地の宮津天橋立の絵を依頼したようだが
いまだ描けないとも書いてある。

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