yabusameyamaのブログ

野草を見続けて40年草花にレンズを向けて好きなように写真を撮る

今日の生け花

今日の生け花・その前に・・・・


21年前のブログ「自然に学ぶ」より・・・


2001.04.12
沙羅双樹


「祇園精舎の鐘の声、諸行無情の響きあり。
    沙羅双樹の花の色、生者必衰の理をあらわす」

平家物語の1節。沙羅双樹は昔から日本人にはよく知られた木だ。本来は沙羅樹双樹ではなく沙羅樹、しかしこの木ほど混同されている木も少ない。誰でもご存知の有名なお坊さんが新聞に沙羅双樹のことを書いておられた。お釈迦様と沙羅双樹の事を書かれたのだが沙羅双樹とシャラの木を混同されておられた。お釈迦様が悟りを開かれたのは菩提樹(日本のお寺によくある菩提樹とは別種)の下。涅槃に入られたのは沙羅双樹の下と言われ仏教では共に有名な木だ。日本では沙羅双樹を発音が似ているのかシャラ(ナツツバキ)と勘違いされておられる方が多く、この方もシャラの木を沙羅双樹と思っておられたようだ。インド旅行の折、沙羅双樹を見たが葉はシャラの葉の数倍はあろうか大きな葉だった。花も地味な黄色い花だった。私の得た知識によるとこの木は放っておくと途中から二股に分かれるので双樹と言うらしい。



追記
私の両親は何度もインド旅行していた。最初は比叡山の年に1度の写経会に参加しておりそこからインド仏跡旅行が行われたので1回目は父親のみ参加した。その時に一緒に旅行された方の中に後に比叡山の荒行「千日回峰」を2度萬行された酒井雄哉師もおられこれがきっかけで長い親子と家族ぐるみのお付き合いが始まった。
2度目からは母親も同行し、父親がなくなる3ケ月前までに6度のインド旅行をしている。その時にはいつもインド在籍40年以上の日印教育協会総裁だった故前田行貴博士と一緒だった。
父が亡くなり1年の喪が明けたら母親が又インド旅行に行くというので今度は私と今年亡くなった姉も同行した。
その後博士と一緒に6度インド・パキスタン・スリランカや中国奥地へ旅行した。インドではここで取り上げた沙羅樹や菩提樹は何度も見ている。
お釈迦様が2600年前にインドブダガヤの菩提樹の下で悟りを拓かれその菩提樹の子供が2300年前にスリランカに贈られ今は金の柵に守られて国の宝となっている。
父親は博士とこの場所を訪れた折、スリランカ仏教に貢献された前田博士のおかげで特別に金の柵の中へ入れていただいたようだ。

私は博士よりこの樹の種子をいただき実生し多くの苗を作りインターネットに「天竺菩提樹を育てる会」を立ち上げて20年間にわたり北海道から沖縄まで2019年止めるまでに750株以上を無料で配布させていただいた。
中には四国でバラ栽培されておられる方にお送りしたがバラ温室の中で大きく育ちある雑誌の取材を受けた折にこの菩提樹を私からいただきバラ園の守り神ですと語られた記事が掲載されてその雑誌を送っていただいたこともある。
会を立ち上げる時には前田先生のお言葉を書いていただき毎回の旅行で一緒だった日展会友で女流篆刻家であり書家でもある小田玉瑛先生に会に名前と題字を書いていただいた。


天竺菩提樹(インドボダイジュ)




今日の生け花


前回庭田山で切ってきた山柿を使いもう一杯。山柿は枝が直線的で使いづらい。
一緒に切ってきたイタドリの雌花とトネアザミ?


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