yabusameyamaのブログ

野草を見続けて40年草花にレンズを向けて好きなように写真を撮る

今日のお茶

今日のお茶・その前に・・・


いよいよ終盤の「鎌倉の13人」
前回は和田義盛の壮烈な最期が放映されて。
巧みに鎌倉幕府の中で生き残った三浦義村(山本耕史)の裏切り。
余すところ2ケ月を切ったがこれから先を三谷氏がどう描くかが楽しみだ。
あくまでドラマである以上史実とは違う名が当然だがその時代に起きた事実は曲げることはできないが史上具体的な記述は残っていないだけに作者は面白く盛り上げるように描ける。
この先歴史上曲げることが出来ない事実。
1,1219年1月27日2代将軍の遺児公暁による実朝暗殺
2,1221年後鳥羽上皇による北条義時追討の承久の乱(変)
3,1223年義時の死と同時に起きる伊賀の変と泰時

       3代執権就任。


これはこれから放映されるドラマの歴史背景ではあるが、まず、11月20には実朝暗殺があるらしいがこの背景をどう描くか?
公暁の育ての親の乳母夫(めのと)は三浦義村だが公暁が実朝暗殺後史実では三浦義村に迎えを要請したとあるが黒幕は義村か?義時か?この辺りをどう描くのだろうか?公暁が叔父の実朝と義時と間違えて源仲章のを討ってしまう。公暁の行いの前兆を三谷氏は前に入れている。殺されそうになった公暁に対し頼朝の乳母比企尼(草笛光子)が「あなたは将軍になる人物、北条を絶対許してはならない」と語りかける場面を三谷氏が入れていた。
承久の乱では鎌倉御家人は動揺するが政子により1つにまとまり上皇方に勝利、京に六波羅探題を作り北条泰時が就任したと史実にはあるようだがこの時三浦義村は弟と敵味方に分かれる。この兄弟の考え方の違いは和田義盛につこうとする弟と裏切り義時につく義村と三谷氏は兄弟の考え方の違う場面を作っている。
最後は三谷氏は義時にふさわしい最期を用意したようで今、どのような最後かが話題になっている。予想では壮烈な最期らしいが吾妻鏡では病死と記載されているようだが暗殺説は残っているらしい。多分暗殺説をもとに作られているだろう。
ならば誰が義時を暗殺するのか?三浦説もあるが歴史上では同じ時に伊賀の変がある。伊賀の変とは義時の後妻のえ(伊賀の方)と三浦義村が組み3代目の執権を泰時ではなく伊賀の方が生んだ政村にしようとした事件。これは政子が義村を説得し泰時に決まる。
ドラマでは伊賀の方という言葉は出てこないが義時が後妻に「のえ」を迎へキノコを贈る。三谷氏はその後のえが妊娠しているらしい場面が入れてあるが何のためか?又、のえが子供を抱いている場面や前回の和田の乱では子供が少し大きくなった姿で出てくるが何故かこの子供の名前が表記されないが多分政村(義時死去時20歳)だろう。さて、暗殺とした場合同時に伊賀の変が起きてることを考えると犯人は自分の子政村を執権につけようとした「のえ」ではないかと思える。

さてどうなるかは観てのお楽しみ。
泰時が3代執権に就任した後、政子と13人で残った大江広元も亡くなっている。頼朝が鎌倉幕府を作って以降多くの御家人たちが次々なくなっていったが最後まで残ったのは巧みな生き方をした三浦義村だけ。
伊賀の変ではのえ(伊賀の方)は伊豆へ流されるが三浦義村は処分されず長老ととして泰時を1239年まで支える。また、腹違いの伊賀の方の子供政村も泰時を支え7代目の執権に就任している。



今日のお茶


お菓子
    大垣市 金蝶園 「まさりぐさ」



茶碗
    京栗田焼 雲林院寶山氏作
     蔦の葉絵茶碗




    日本画家 小島紫光氏画
       洋犬


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