yabusameyamaのブログ

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大河ドラマの今後

鎌倉殿の13人その後の展開


先週は頼朝は死に2代鎌倉殿は頼家に決まった。
しかし、頼朝に仕えてた御家人たちはまとまらない。2代には頼家ではなく頼朝の弟である僧侶の阿野全成を押す北条時政や頼家の舅として発言力が大きくなった比企能員とまとまらないが一応は頼家の就任で表面上は落ち着く。
ここまでが二谷幸喜氏の描いたドラマの展開ではあるがこれからはどのように描いてゆくか楽しみでではある。以下は「吾妻鏡」に記載されている実際の展開ではあるがこれを三谷幸喜氏はどのように描いていくのだろうか?ドラマの最初から出演している山本耕史氏演じる三浦義村が重要な役を果たして行くと三谷氏は語っておられる。
頼家就任は1199年。その3ケ月後には13人の合議体制となる。これが題名の「鎌倉殿の13人」
しかし、13人の一人で頼朝の信任が厚かった梶原景時に対する不満が表面化し、景時に不満を持つ和田義盛ら66人の連判状が頼家に提出される。景時は頼家に弁明はせず相模の国の一宮で謹慎。
しかし、支持する御家人もあり鎌倉へ戻るが頼家は鎌倉を追放する。
景時は京へ向かうが途中で打ち取られる。
阿野全成は千幡(実朝)を擁する舅の北条時政と結び、頼家一派と対立する。1203年頼家は先手を打って謀反人として武田信光に捕らえさせる。全成は常陸の国へ流されるが八田知家により殺される。
阿野全成が亡くなると今度は頼家の舅である比企能員が頼家に北条時政追討を訴える。病床の頼家はこれを承諾。しかし、この話をひそかに聞いていた北条政子が父北条時政に報告。時政は大江広元と相談。
時政は仏事を行うと時政邸に比企能員を呼ぶ。そこで比企能員を殺害する。これを知った比企一族は御所に立てこもるが政子により比企討伐の命が出され、北条義時を総大将にした軍に比企一族は1日にして滅亡する。
これを知った頼家は和田義盛らに北条時政追討の書を出すが和田義盛はこれを時政に渡す。
そして、政子の命により頼家は出家する。政子の妹(阿野全成室)のもとで育てられていた千幡(実朝)が3代征夷大将軍に就任する。頼家は伊豆修禅寺に退く。これまでは頼家が鎌倉殿になって4年の出来事。頼家は翌年義時の手の者により入浴中に殺害される。
この間多くのものが処分されたり殺されている。話はまだまだ続くが、3代将軍になった実朝が将軍としての行事で鶴岡八幡宮へ参内するが大イチョウの陰に隠れていた頼家の子供の「公暁」に「父の仇」と切り付けられ亡くなる。公暁は三浦義村に自分が将軍であると迎えを要請するが義村は北条義時に連絡、義時は追っ手を差し向け殺す。これで頼朝からの血筋は消える。公暁は実朝の甥ではあるが政子により実朝の子供として扱われていた。この件は黒幕として色々人物が登場するが事実は不明のようだ。

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