ご先祖様
ご先祖様
今年もお盆の時期が近づいてきた。
先祖供養をどこでも行うが、さて、自分のご先祖様はどこまで詳しく語れるだろうか?普通はなかなか難しく、どんな人物か判っているのは祖父・祖母、運良くば曾祖父・曾祖母くらいまでだろう。
呼び方が判る自分の先祖はまず「父・母」として「祖父・祖母」その上の「曾祖父・曾祖母」その先は「高祖父・高祖母」。日本語ではどうやらここまででそこから先はご先祖様となるようだ。
先日古い荷物を整理していたら曾祖父の遺品が少し出てきた。一部は先に掲載した短冊に書かれた曾祖父の和歌等が10枚ほど。
新たに曾祖父の掛け軸(祖父が制作)が出てきた。
曾祖父は本庄松平藩の幕末最後の家老を務めたようで明治になり明治政府から副参議と土地を新たに与えられていたと聞いている。
掛け軸は祖父が岐阜へ出て銀行家として成功し家を新築。そこへ父を招いたようでその時の気持ちと和歌を書かれたもの。
自分の親を「父」とか「父親」と呼ばず「翁」と書いてあることはおそらく今の親子関係とは違いもっと上下関係が厳格な中で祖父が育ったからではないだろうか?祖父は武道に優れ、人格者だった父親を尊敬していたためだろう。
しかし、解読がなかなか難しかった。古文書などを読む会がありそちらで解読をお願いした。前半、後半とあるが前半の2行目の2字について意見が別れた。最初は「稔改」ではないか?意味は年改まりと解せるらしい。この意見に同調される方もあったが「稔路」で「美濃路」に掛けているのではとの意見も出た。数日掛けてようやく出た結論は「旅路」だった。
これが一番自然な読みではないかと皆さん同意された。
後半は軽妙な歌が3首書かれており少し意見の違いがあったが読んでいただけた。
花さけと 下風寒さ
旅路来ていと温く(あたたかく)
ぬる(寝る)そうれしき
ねむころに いたわりくるゝ
孫子等の 心の程そ
嬉しかりける
右 昭和四年四月来岐のをりに 義丈
朝寝ぼの ほどぞ
しらるゝ女学生 大きな
お尻ふりつゝ急く
十年経て来て見し
郷のすゝめるは花
のうえにもあらわれけり
新らしく築し家は
山のごとさゆるぎだにも
あらじとそ思ふ